明治23年に村が置かれたとき、ほんとうは空知村あるいは空知太村としたかったようですが、すでに三笠に空知監獄があってまぎらわしいので滝川村としたといわれています。明治19年には上川道路開削の拠点となり、同23年には屯田兵村設置、同25年には空知太まで線路が延びて活況を呈しました。明治31年に旭川まで線路が延びてからは単なる通過点となって寂れましたが、大正2年には富良野までの線路が開通し、再び活況が戻りました。以来、国内屈指の炭鉱地帯である中空知の中核都市として発達しましたが、1995年3月の空知炭鉱(歌志内市)の閉山により、坑内堀炭鉱はすべてなくなりました。
しかし昭和33年市制当時の人口が43,000人(江部乙を含みます)に対し、現在47,000人でむしろ増加しており、炭鉱離職者の就職先として企業進出も盛んです。滝川駅は昭和37年築の典型的な白い鉄筋コンクリートの建物ですが、それでありながら温かみがある駅です。待合室には正統派の立ち食いそばや、商売熱心な薬局があります。近くにコンビニは見当たりませんが、駅前のSEIYUと地下通路で結ばれており、買い物には便利。なお、待合室は下り利尻が発車してから上り利尻が到着するまで締め切られます。ホームは7番までありますが、函館本線の他の駅と同様中線も含んであり、実際には3面5線。島式ホームには蒸気時代そのままの洗面台がぴかぴかに磨かれて現役で使用されており、貫禄があります。札沼線新十津川駅までは約4kmと超近いです。
2005年5月5日(9歳)
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