この駅は、昭和20年6月1日に信号場として開設されました。当時の函館本線は現在のメインルートである駒ケ岳経由が一本だけでありましたが、急勾配のために長大編成の貨物列車の運行に支障が出てきてしまいました。そのため、緩勾配線として遠回りとなってしまう海沿いのルートが造られた経緯があります。ただ、ここは全くの新設路線ではなく、“渡島海岸鉄
道”という私鉄が昭和3年9月まで、森からこの駅の隣にある渡島砂原まで結んでいました。その後、軍川(大沼)までを延長工事させ、その鉄道も国有化させることにより、昭和20年6月1日をもって全通したとのことです。そしてここは、JR化された以降の昭和62年4月1日に晴れて信号場から格上げされて駅として認知された訳ですが、周囲の人家は僅か3軒ほどしかありません。主要な道路からも遠く離れているのでこの駅を探すのに苦労しました。
2001年11月23日(5歳)
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