昭和34年創業の大昭和製紙白老工場が、建設費を全面負担してできた道内発の橋上駅で、駅名は本社のあった静岡県吉原市(現在は富士市)にちなんだものです。明治の入植者たちが故郷を偲んでつけた名とは由来がちがううえ、通過する普通列車さえあったこの駅に出退社時間にあわせて急行「ちとせ」が昭和41年10月から昭和63年3月まで20年以上停車し、庶民は首を傾げていたそうです。 2003年11月3日(7歳)