明治22年奈良県吉野郡十津川村が大洪水に見舞われた際、村人(約600戸)が大挙してこの地に移り、新十津川村をつくりました。実はもと「中徳富駅」と称していましたが、昭和28年の再開の時に村名にあわせて「新十津川駅」と改めました。
当初より「がわ」と「かわ」の表記が混在していましたが、「がわ」が正しかったそうです。駅名標をJR仕様にしたとき誤って「しんとつかわ」としたところ旅行者から駅名標が間違っているとの指摘があり、「しんとつがわ」の駅名標を作り直しました。このことが北海道新聞で取り上げられ、結局1997年4月1日に「しんとつがわ」から「しんとつかわ」に改称したというエピソードがあります。
ここから先「石狩沼田」まで線路は続いていましたが、昭和47年(1972年)6月18日に乗車率が著しく悪く廃止されました。是非また石狩沼田まで延伸してほしく、レールの向こうを見たら、それをアパートがさえぎっていました。なぜかとても寂しい感じがしました。
2005年5月5日(9歳)
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