駅前の「火夫の像」が狩勝越えをいまに伝えます。終戦直後の劣悪な石炭と急激な輸送量の増加は労働環境を悪くし、昭和23年5月、上り列車の減車、後部補機の連結拒否により新得駅構内には、240両の列車が滞留することになり、根室本線はマヒ状態になりました。争議は全国に波及し狩勝トンネル争議と呼ばれました。
2004年9月20日(8歳)