もと地名は「凋寒(セーオロサム)」と呼ばれていましたが、明治29年旧鳥取藩主・池田仲博侯爵が農場を開設、この農場の中に駅を設置したので駅名も「池田」としました。
昭和36(1961)年1月改築。「ちほく高原鉄道(旧国鉄池北線)」への乗り換え駅です。駅弁がありますが、駅では売っていないそうです。
2004年5月2日(8歳)