貨車駅で、旧駅舎の土台が残っていました。この駅の近くには昭和34年まで「大和田荘七」が設立した大和田炭礦があり、駅構内には、炭礦と結ぶ専用線や選炭場などが存在していました。いまでは、大きな炭塊が飾られていた駅舎もなくなっていて、面影もありません。 2005年5月3日(9歳)